「ごちそうさま」と言われてもいたしかたないが、うちのかみさんは、
身内から見てもなかなかいい文を時々書く。
以下はその文。

和く輪く舎発行小冊子 
『みんなちがってみんないい・自己表現にハンディのある子どもと癒しの子育て』より








生い立ちでのかかわり




私が最初に障害をもった人に出会ったのは、4才の幼稚園時代でした。
きっとこの子との出会いが、今の私の「源流」になっていると思います。


ある日、先生が急にお昼寝をするように言い、私はなかなか寝付けず、
でも怒られるのは嫌なので寝たふりをしていたとき、
一人だけあっち行ったりこっち行ったり、先生に
追いかけられている子がいたのです。

「あぁあの子も私と同じで寝られないんだな」と

薄目をあけて様子をうかがっていたことを今でもよく憶えています。

その子と再会したのは、小学校3,4年生でした。
同じクラスになったので、世話好きな私はうるさがられながらも、
お世話係を自主的にやっていました。
その子はいつも自由帳に難しい漢字を書いていました。
それを見ていた私は凄いなと感心していました。
その頃の私は、障害児とは思わず、他のことはできないけれど、
漢字を書かかせたら天下一品と認識していたように思います。

そんな彼がある時、国語の漢字テストで百点を取ったのです。
私は自分のことのように嬉しく思いました。

またある時は、その子がからかわれたことをきっかけにして、
女同士とっくみあいのけんかをして学級新聞に
載ってしまったこともありました。

その子の妹が一年生だった頃、お兄ちゃんがおかしいからといって
いじめられている場面に出会ったこともありました。それからは、
その行為にみかねた友達と2人で、ボディガードをしながら帰りました。

驚いたことに、彼はなぜか、私の家族の名前を全員、漢字まで全員正確に
知っていて、私の母が働いているお店に行っては、話しかけてきたそうです。
どこで調べたのでしょう。今でも謎です。

 私の中の印象的な小学校生活の思い出の大半を占めていた彼ですが、
6年生になると学校から姿が見えなくなってしまいました。

そして風の便りに、お父さんが癌でなくなったと聞き、
子供心に何か大変なことになって学校に来られなくなったんだなと
思ったのでした。そしてなんでこんなことが重なるのかと、
不公平さを感じていました。


そんな思いを心の隅に置いたまま月日は流れ、
次に障害を持った子と出会ったのは、
短大で勉強していた頃でした。
障害を持った子供達が、いつもはいろいろと
肩身の狭い思いをして学校に通ったり、
日常の生活を送っている中、せめて週1回は
のびのびと自分の居場所で過ごせたらいい
と集まっていたグループに参加していました。

たくさんの子供達がいましたが、中でも一番仲良しだった女の子は、
気に入らないことがあるとよくパニックを起こして人をかんでしまう
ので、お母さんも困っていました。
 そんなお母さんからある時、「抱っこ法」(*1)というところに
通いだしたと聞き、私も一緒に連れていってもらいました。

彼女は、阿部先生とお母さんの胸の中でたくさん悔しい気持ちや
悲しい気持ちを訴えていたように思います。
当時はまだ、私は気持ちを聴く大切さをよく分からないでいました。
でも、彼女と知り合えたおかげで、今やっている
抱っこ法とも出会うことができました。


本当の抱っこ法のすごさを知ったのは、卒業後、
精神薄弱者更生施設に勤務したときでした。
学園は開園したばかりで職員も利用者も全く
落ち着きが無く、何が何だかわかりませんでした。

そんな中抱っこ法で、まず、
これから一緒に生活することになったことを伝えるあいさつと、
急に生活が変わってしまったことに対する慰めの抱っこを
阿部先生の指導のもと一人一人していきました。


その中でも、ある男の子とのつき合いは、私にとってとても印象的なのもでした。


その彼は、食事をとることも、トイレに行くことも何もせず
ただ寝ているばかりの子でした。そんな状態だったので、
体はがりがりに痩せ、床ずれができていました。
当時一六才だった彼は、無力感におそわれているようで
とても痛々しかったのです。その彼に食事のときや、寝る前に、

「君が大切なんだ」

と伝える抱っこ法を朝も昼も夜もしました。

そんなある日
「君はお兄さんになりたいの?それとも赤ちゃん?」
と抱っこ法入門に書いてあるとおり、
阿部先生がしていたセッションを思い出しながら、
でも、何気なく聞いたら、彼はそんな声も出せるんだ
とびっくりさせるくらい大きな声で、はっきりと

「あかちゃんになりたい!!」

と言ったのです。
 その反応の大きさにはっとしました。
「そうなんだ。じゃぁ赤ちゃんになっていいよ」と
その日から、一緒のベットに寝て付きっきりの生活が始まりました。





でも、面白いことに赤ちゃん生活は1ヶ月間くらいしか
続きませんでした。赤ちゃんが成長するように、日に日に
ご飯が食べれらるようになり、動きがスムーズになって
いったのです。ほっとした私は、安心して、彼のそばを
離れることが多くなりました。
施設の仕事はチームプレーなので、私が彼に付き添って
いる間は誰かが私の代わりに、他の仕事をカバーしなくては
ならなかったからです。

でもそこに大きな落とし穴がありました。

もう安心と思ったのは間違えで、彼にしてみれば、
この支えをしてもらってかろうじて頑張れる、
頑張ってみてもいいかなというところだったようで、
状態がまたガクンと前のように戻ってしまいました。
 この信頼を回復するには今まで以上の努力が必要となり、
このとき心の底から、こちらがほっとしたときが
一番気を付けなくてはいけないと思いました。
でもこの彼も、しばらくすると私以外の職員との関係も良くなり、
年相応の笑顔が戻りました。
何もかもうまくいったと思った矢先、次の大きな山が
私の前にそびえ立ちました。

今までとは反対に私の言うことだけ聞かなくなったのです。

私はあせり、怒りさえ憶えました。
困っていた私でしたが、ある時彼と私が一緒に行事に
参加している写真を見つけました。
そこに写っている私の顔が、自分でも鬼婆のように
恐かったのでした。いつの間にか、励まし、支えていた
はずの私の顔は励ましの度を超え鬼婆に変わって
しまっていたのです。
私はそれを知って愕然としました。

「いやぁこれじゃぁ誰も言うことなんか聞きたくないわ」

と反省して彼にも抱っこして謝ると、許してくれたのか
また元の関係に戻りました。この出来事を通して、
こんな未熟な私でさえ心から謝ると許してくれる
やさしさが彼の内面にはあったことを知りました。
そして、心から伝えたいと思えば伝えることができるし、
やり直しがきくと知って、心の交流の手段としての
抱っこ法ってすごいと思いました。


いろいろなエピソードがある中でもう一つ、
逆に利用者の人たちに抱っこ法をしてもらった
経験が心に残る出来事になっています。


泣いているのがわからないように、黙って下を向き
もくもくと洗濯物をたたんでいると、洗濯物の片づけを
自分から手伝いに来てくれた人がいました。
お願いするといつもはいやいや手伝ってくれる彼なのに、
泣いている私の顔を見ると俄然張り切り、
走って片づけに行ってくれました。

彼とのやりとりをきっかけに、下を向いていた私が
顔を上げて辺りを見まわすと、その棟に棲んでいる
利用者の大部分の人たちが、私のいるラウンジに
集まっていることに気が付きました。


何と言うことでしょう。


泣いている私を黙ってみんなが見守っていてくれたのです。
私にはそう感じたのでした。
そして、私の側で座っていた一人が、私の泣いている顔をじっと見て

「ファイトしなよ」

と言ってくれたのです。
会話が成立する事なんて年に一回ぐらいなのに、
何てタイミングのいい言葉。
参りました。
いままでこらえていた気持ちがわっと噴き出て
不覚にも泣き崩れてしまいました。そして、このとき
「あぁ私はこの五年間、世話をしていたのではなく、
支えてもらっていたのは私の方だ」と気付き、
彼らの内面の深さに感動し、実感を持ったのです。



学園をやめてから、一年間幼稚園の臨時職員をしながら、
本格的に阿部先生のところで抱っこ法の勉強をさせてもらいました。
幼稚園児と関わる中、健常児といわれる子供達も沢山の気持ちを
抱えていることに気が付きました。
そしてその抱えている気持ちは、障害があってもなくても
変わらないことを痛感しました。

阿部先生の所では、気持ちを聴くセッションの他に、
今和く輪く舎でやっている「障害を個性に」という趣旨
の前段階となる学習グループが始まり、算数や国語を中心に
勉強を進めていました。自分たちも勉強がしたいという思いが
良く伝わってきましたし、できない悔しさや、日常の大変さを
慰めたり励ましたりすると、今までできないと思っていたことが
できるので、できなかったことを乗り越えた後は、
とてもうれしそうでした。

 その頃、阿部先生の所に通ってくる少年やお母さんと一緒に
筆談(*2)の練習を試みている先生がいました
そしてお母さんも先生も書けるようになったと聞いて
とてもうらやましく思いました。

そんなとき阿部先生が強度行動傷害についてのプロジェクトの
話し合いに連れて行ってくれたことがありました。
そこには片倉信夫先生と一緒に、ペンペン文字ができる先生が
いらしていました。

その出会いをきっかけに、私ももっと頑張ろうと思い、
阿部先生の所に通ってくるたくさんの人たちに協力
してもらって沢山練習をしました。

そしてやっと書けた最初の言葉が3文字

「おやつ」

でした。

たった3文字でしたが、その週におやつを食べそこねた悔しい気持ちが
分かった言葉だったので、私も彼も満足したのでした。
代弁するより自らの言葉は大きな意味があると思いました。
その後はたくさんの人たちが練習させてくれたおかげで
コツがつかめ、長い文もわかるようになりました。

 それから、阿部先生と一緒に、自閉症の人たちが暮らす学園に
毎週通うことになりました。

 その学園では利用者の気持ちをくみ取るために、
抱っこ法も利用しながら熱心な努力を続けていました。
私は学園を利用している人たちの中の一握りの方たちとしか
関わっていないのですが、抱っこ法や筆談を通して、
職員を頼りにしていたり、頑張りすぎて疲れているのではないか
とか、つらいことがあって落ち込んではいないかと
心配していたり、時には仲間として同じ人間として支え合いたい
と望んでいたり、自分自身が大変ながらも、そんな職員思いな
一面をのぞかせる場面もありました。
職員の方も、同じように一人一人自分自身のいろいろな
思いや葛藤を抱えながらも、利用者のために頑張っている姿が
印象的でした。そんなお互いの思いが出会い解け合ったとき、
より深い関係が築けているようでした。 
抱っこ法のいいところは、


肌が触れ合うことで、心が触れあいやすくなるところ


だと思います。
離れていては気が付かない心の動きが、体の緊張でわかったり、
離れていてはごまかすことができる隠れた思いを
隠しきれないところがあるからです。
そして、一度その人の深い内面に出会えば、お互いが通じ合って
いるので、離れていてもそれを察することが容易になることも
魅力のひとつです。

 思いをくみ取るためにもう一つ大切なことがあると、
私は阿部先生のところで学ばせていただきました。


それは意外にも自分自身と向き合うことでした。





見よう見まねで、抱っこもできるようになった頃、
ある強迫神経症を患った女の子が、阿部先生の所に
来ることになりました。
住まいが遠いせいもあり、2週間ずつ何回かに分けて
寝食を共にしました。
最初はやさしく、相手の身になって接することができたのですが、
だんだん私の中にイライラがたまってくるのがわかりました。

「何で何度言っても手を洗いつづけるのよ。それが病気なんだから仕方ない。でもいらいらする!」

とか、

「もっとしっかりしてから偉そうなことを言ってよ」

とか、日を追う毎に私の心は爆発してしまいそうで
苦しくて苦しくて仕方がありませんでした。

折に触れ、阿部先生に自分の心を見るようにと言われていた私でしたが、
その時は意味が分かりませんでした。
そしてずっと私を苦しめたこの女の子は、今では私を本来の私に
戻してくれるきっかけとなった命の恩人となったのでした。

とはいうものの、それから数年、私の内面はつらい日々が続きました。
日常はかろうじて過ごすことができましたが、とても苦しかったです。
そんなとき側にいてくれたのが、阿部先生や、芳子さん(阿部先生の奥さん)
や仲間達でした。
そして、3ヶ月という短い時間さえもおなかの中で
生きていけなかった小さな我が子、死してたくさんの
プレゼントを残してくれた小さな我が子です。

 この子の死を知った私の所に通ってきてくれる親子たちは、
親も子も自分のことのように悲しみ泣いてくれました。
私はその姿を見て感謝しました。

みんな本当につながっているんだと感じました。

ところで、命の恩人となった女の子に感じたイライラの気持ちは、
助けをもとめられずに生きてきた私の幼心がうずいていたのでした。
たぶん写真に写っていた鬼婆の様な顔の私も、そんな自分に近かった気がします。


「弱音を吐きたい私がいたんだよね」


「助けて欲しい私がいたんだよね」


と自分の認めたくなかった自分を大事にすることで、


「あのときの私みたいに助けて欲しいって思っているんだよね」


と相手を感じてあげることができ、共感が広がりました。
 
 本来の私を取り戻すことで、イライラしたりどうしていいか
わからなくなって固まっていた私の心や思考、行動が
少しずつですが、自由になり発想が豊かになるのを感じます。


この自分さがしは、終わりはなくこれからも続いていくことだと思っています。


私のように福祉の仕事や人をサポートする仕事をする人たちは

自分が心の隅に追いやってしまった気持ちや思いに目を向けて、自分自身を大切にする経験がとても大事だ

と痛感しました。
それは相手を援助する仕事にとっては間接的なことのようだけれども、
とても大きな変化と、大きな効果をもたらすと思いました。
相手にも自分にも優しくできるからです。

だからその学園にうかがう時は、利用者の方たちも
大切にしたいと思いますが、そこで働く職員の心も
大切にしてあげたいねと阿部先生と話しています。
このことはお母さん、お父さん達にも言えることかもしれません。
関係が近いからこそ揺れる気持ちもあるだろうし、
もっと苦しいかもしれない。

私が出会ってきたお母さん達は一生懸命に、
「気持ちを通わせたい」
「この子を支えてあげたい」
と願ってやまない方々です。
子ども達も
「期待に応えたい」し
「愛を伝えたい」
「感謝を伝えたい」
と思って日々暮らしています。
そんな心の架け橋のお手伝いができたらいいなと思ってきました。








心はまあるいドーナッツ



 最近またすてきなことがありました。
月曜に和く輪く舎でやっている学習グループの仲間達と、
「心はまあるいドーナッツ」を歌いながらみんなの輪を
確かめ合えたことです。

その日、誕生日だったY君をきっかけに、
それぞれの思いが出てきたのでした。
 しかも私達大人が気づく前から、T君がS君の

「自分がY君と同じ年になった頃はまだ苦しかった」

という気持ちを察して、S君を心配したことから
始まりました。

最初はそれぞれに課題をしたり、お母さんと二人で
抱っこしていたのですが、S君の周りに一組また一組と
集まってきて、大きな輪になりました。
そしてS君のお母さんとTくんのお母さんが
「心はまあるいドーナッツ」という歌を歌い始めました。


ともだちどうしの 心って
どんなかたち?
ふわっと まあるく やさしい
ドーナッツのかたち
こまっていたら 助けてあげるね
さみしかったら そばにいるね
心がまあるく もどったら
前より なかよし

ともだちどうしで いようね
どんな時も
ぐるっと両手を つないで
ドーナッツみたいに
きみのなみだ みんなでふこうね
夢はみんなで わけあおうね
つないだ手と手で だこうね
ひとつの しあわせ


この歌を歌い始めるとS君は、

「こまっていたら 助けてあげるね」

の所でわぁーんと泣き出しました。
T君もS君も同じ所でわぁーんとかわいい泣き顔。
 Y君は

「さみしかったら そばにいるね」と「きみのなみだ みんなでふこうね」

の所を歌うとわぁーん。
まるでこの歌のドーナッツの輪のようになって、
みんなでかわりばんこにわぁーんと泣きました。

 その後で、お母さんたちが「この子でいい」
と思えるようになるまでの心の葛藤みたいなものが
自然と話に出てきました。
するとS君のお母さんが、「Sが電車の中で急に
手をつないできて、この歌を歌ってくれたの」
と、カズンの歌でCMでも流れた曲を歌ってくれました。


「あなたに会えてよかった」
そう言えるふたりになれた
忘れずにいよう この気持ち
うれしいね 楽しいね
ずっとよろしく


 S君はもちろんのこと、みんなで歌いあって、
わぁーんとうれし泣き。
そして今度は、「あなた」の所を「○○君」、
「ふたり」の所を「ママ」置き換えてしみじみ泣きました。

みんなで何回も歌いあい、喜びを分かち合いました。
本当に感動した幸せな時間でした。
Y君にとっても忘れられない誕生日になったようでした。

阿部先生が「障害」を説明するとき、

「壊れた楽器を演奏するようなものでどんな上手い演奏家が
その楽器を演奏しても、聴衆にはいい音楽に聞こえない。
でも聴衆が良い耳を持ち、壊れた楽器をよく演奏しているね
と言えるようになったとき、その音楽の良さがわかる」

と言うことがあります。
 シュタイナーの考え方を大事にしている医師が言ったもの
らしいですが、詳しいことはわかりません。
でもその説明を聞いたとき、あぁその通りかもしれないと
思いました。

 つき合えばつき合うほど、きらりと輝くものが見える彼ら
ですが、見た目や行動はめちゃくちゃだったりするので、
こちらに聞く耳がないと良さが伝わらないことも現状で
しかたないのかもしれません。でも私はこれからも自分自身も
聞く耳を磨いて、彼らと手と手を取り合っていけたらいいなと
考えています。





■注釈 

*1抱っこ法: 1960年代にザスロウ博士によって創始された心理技法で、
         海外では、おもに心の交流が難しい自閉症児等の教育の
         ために活用されてきました。日本に紹介されたのは1980年代
         で、ザスロウとの共同研究者だったカナダのアラン博士との
         交流を経て、当時千葉県の「つくも幼児教室」の室長をして
         いた阿部秀雄(現・日本抱っこ法協会名誉会長)によって導入
         されました。以来、日本では独自の発展を遂げ、自閉症のみ
         ならず、一般の子ども達の心を育てるのにも有効な方法として
         確立されました。現在では、子どもと大人が心を通わせながら、
         共に成長していくための心育て(心育ち)の原理として、広く
         子どもと関わる仕事をする方々、ハンディのある人と関わって
         いる方々、子育て中の父母から、熱い支持を受けるように
         なってきています。 抱っこ法では、表面に現れた行動の奥に
         ある子ども(あるいは大人)の隠された気持ちにふれていき、
         その気持ちを受けとめていくことによって、感情解放を促し、
         本来の情緒の安定・意欲・成長力等を回復していく援助をして
         いきます。また、知的あるいは情緒的な遅れをもった児・者の
         情緒的な基盤に働きかけることにより、親子関係をはじめと
         した人と関わる力や学習意欲を育てていきます。抱っこ法の
         利点は、こういったカウンセリング的な関わりを、対象の年齢を
         問わず実践できる具体的な方法をもっている点にあります。
         (以上日本抱っこ法協会HPより)

*2筆談:  障害者の手や手首,あるいは肘などに,援助者が
      手を添えて支えつつ、描画や書字,タイピング等
      を活用しながらコミュニケーション援助する方法。



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